東京大学史料編纂所

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宇佐永弘文書の整理と撮影

 一九八五年九月一日から七日まで、大分県宇佐市高森の県立宇佐風土記の丘歴史民俗資料館に赴き、同市南宇佐桐井・永弘氏一氏所蔵の「永弘文書」の整理と撮影を実施した。この仕事は一九六二年・七九年・八〇年・八三年・八四年に次いで六回目になる。文書の整理は、前年までに『大分県史料』所収分を完了しており、今回は『県史料』未収分を一通ごとに封筒に詰める作業を行ない、全点の整序と袋詰めを完了した。撮影は、『県史料』二一〇二〜二五二六号(最終番号)および九九三〜一〇四〇号の文書あわせて五〇〇通余について実施した。なお、『県史料』九九三〜一〇九二号の一〇〇通の文書は、長らく所在不明だったが今年神宮の書庫から見出されたものである。撮影に際しては、『県史料』との対照の便を考え、『県史料』の文書番号をカードに書いて写し込んだ。
 この結果、未撮影の文書は一〇四一〜一〇九二号の約五〇通と、『県史料』未収の約八〇〇通となった。なお、一九六二年に撮影された一〜四四二号文書(平安〜南北朝)は、その後裏打が施されて読みやすくなっており、再撮影が必要であろう。
                       (村井章介・石井正敏・藤原良章)
 宇佐での調査終了後、村井・藤原は宮崎県立図書館へ赴き、『大日本史料』第六編関係の採訪として、応安七年の二通の文書をふくむ「鬼束文書」(宮崎県都城市安久町 鬼束次男氏所蔵)全点を撮影した。なお宇佐・宮崎の調査について、宮崎大学講師山田渉氏の御協力を得た。


『東京大学史料編纂所報』第21号p.110